第5話・フェルナンデス監督登場!?

 はじめに
 さて、今回の異聞録は高校時代の豊平河川敷でのサッカーをしていた時の事を書いてみようと思います。果たして、フェルナンデス監督とは何者なのか!?

 休日の楽しみ方は、人それぞれだけど、この頃はサッカーしかなかった。いつも10時に「ロッテ」と書かれた看板付近に自転車で集まり、豊平川の河川敷に向かうのがパターンであった。今は、撤去されてしまったが、当時はフットサル用のゴールがあり、いつもここでサッカーをした。
 みっつ 「また、大巨人は遅刻かい?」
 RYO 「いつものことだべ。」
 大巨人 「いや~。すまんね~!背中に違和感があってね。」
 みっつ 「うるせぇよ!それは、いつものネタじゃねぇか!」
 岩夫 「じゃあ、いくぞ~!」
 自転車で豊平川へと向かう。道すがら世間話や馬鹿話で盛り上がりながら自転車を走らせるが、RYOが無駄に危険なコースを走り、皆から野次られるのがお決まりであった。
 大巨人 「このサルが!普通に走れや!」
 RYO 「うっさいな~。」
 そして、河川敷に到着すると、大抵の場合はゴールを使っている先客がいて、付近の原っぱで岩夫の指示の下でランニングや柔軟体操でアップをするのであった。 岩夫は、小学校時代に全国ベスト8の男であるから実力は飛び抜けていた。
 岩夫 「さぁ、まだ走るよ!」
 先頭に立つ岩夫だが、部活ではないので皆はあまり従わない。たまに怒った岩夫がふて腐れるのだが、それもご愛嬌だろう。大巨人などは「こんなのサッカーじゃないよ!」という迷言を、得意の口八丁で岩夫が言ったようにプロパガンダ活動して周りに浸透させたりもした。 
 ちなみに、ポジションは確定していた。

 岩夫=キャプテン。「アジアの壁」と揶揄されるDFでチームの要だった。
 みっつ=DFやMFもこなしたが、基本的にFWで得点王だったが、やたらシュートを外す事が多いように大巨人にプロパガンダされて常に批判されていた。
 大巨人=FWかMFだったが、最大の武器である上背を生かしたヘディングは不得意で自ら個性を殺していた。
 RYO=大巨人とは逆に身長はないがGKをやっていた。たまにスーパーセーブを見せた。
 フェイ=そのアフリカ人並みの身体能力でDFをしていた。ただ、戦術理解力が乏しくて宝の持ち腐れ状態。
 ヨハン&下さん=あまりサッカーには参加しなかったが、参加するとMFで活躍したが、ヨハンは何故か怪我が多かった。
 
 後はフェイの友達を何人か加わり、大抵は6,7人でサッカーをしていた。軽く練習してからが本番である。先客のチームと交渉して対戦をするのである。だが、相手は経験者の多い本格的なチームであったりするので、黒星が多くなってしまうが、それでもたまに勝てると嬉しかった。
 岩夫 「久々に勝ったな~!」
 みっつ 「ああ!マジで嬉しいよ~!」
 やはり、どんな規模の試合でも勝利する事が出来ると嬉しいものである。

 ある時、仲間内で試合していると河川敷の坂の上に老夫婦がサッカーを見物していた。それを見て、
 みっつ 「おい、こっちをじっと見てるぞ。」
 大巨人「だなぁ。もしかして、スカウトじゃねぇ?」
 みっつ 「コンサドーレか?いくらチーム状況悪くても草サッカーでスカウトかよ(爆笑)」
 いつの間にか、その老人の事をフェルナンデス監督(当時のコンサドーレの監督で、チームはファミリーと言って憚らなかった名将)と大巨人とみっつは呼び、岩夫をスカウトしに来たとか言って爆笑していた。
 こんな感じで、いつも夕方まで遊び、疲労困憊になりながら自転車で帰宅するのであった。とても楽しい日々だったんだな~。と、今更ながらに思う。

 今回は物語というより、体験談ですね(笑)他にもサッカーネタがあるので、いずれ書いてみようと思います。さてさて、次回からはみっつと岩夫が2人旅で行く京都旅行編をお贈りします。どうぞ、お楽しみに~!

※この物語は事実を元に構成されたノンフィクションです。
           [総監督・原作・監修] 海ちゃん
           [脚本・シリーズ構成] みっつ
           [製作協力] RYO


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